ナラティブとは、物語と和訳され、
「人それぞれの解釈」をセラピストの働きかけによって、変化するきっかけを与える事
と説明してきました。
この場合、患者のナラティブをリーズニングやセラピーの対象としています。
しかし、ナラティブが複雑になってしまう1つに、ナラティブを治療手段として用いる事も含めてナラティブという点です。
本記事では、ナラティブを手段と考える事について解説します。
ナラティブは対象であり、手段でもある。
意味の分かりづらい言い回しになってしまいますが、「患者のナラティブは対象であり、ナラティブも(「を」ではなく)用いて治療に当たります。
ナラティブも用いるとは、どういう意味でしょうか?
「ナラティブ」=「物語」です。
物語を使って、患者のナラティブに働きかけます。
例え話や、アナロジーと呼ばれるものです。
例えば、何かに一生懸命取り組んでいる人がいたとして、でも周りからは「なんか、へんな事をしているな」とあまり良い評価を受けていない状況だったとします。
最初のうちは良かったのですが、いつの間にか、その本人が周りからの評価を気にしてしまうようになり、当初の意気込みを失ってしまったとします。
あなたは、「このまま頑張ったら、きっと芽が出てくるのに勿体無いな」と思ったとします。
では、どのように、「周りの目を気にせず、このまま努力する事が大切だ」という事を伝えるでしょうか?
方法は1つではありませんし、その人によっては励ました方が良い人もいれば、そっとしておく事がその人が再び前へ向き始めるのに時間がかからないかもしれません。
一概には言えない事を承知の上で、ここでナラティブを用いた場合の例を示したいと思います。
もし、元野球部だった場合は、「イチローは、最初は、ヘンテコリンな打法だって笑われてたけど、結果日本でナンバーワンのバッターだし、メジャーでも活躍して大スターになった。凡人にはイチローの凄さは分からなかったんだろうね。」
と話してあげる事ができます。話した相手からは何も求めません。ただ話して、それだけです。
あとは、相手がどう解釈するかは本人任せです。
ただし、彼が元野球部であり、イチローは凄い選手だと理解している事を、その話をした人は知っています。
「イチローでさえ、最初は周りから変な目でみられていたのか」
と思えたら、これが前向きになるきっかけとなる可能性は大きいです。
もし、バスケ部ならマイケルジョーダンかもしれません。あまりに偉大な人を例に出すと自身に置き換えられない冷静な人もいます。
そういう場合は、地元が同じ琉球キングスの選手が良いかもしれませんし、ゴルフ好きであるなら沖縄出身の宮里優作選手かもしれません。また、身近な先輩の昔の話でもいいかもしれません。
この人が想い入れのあるものや、何かしら培ってきたものにまつわる物語を有効に利用して、その人のナラティブに変化を起こすきっかけを与える事ができます。
理学療法士の臨床場面で用いる場合はどうでしょうか?
- 治療に前向きになれない患者
- 自主訓練に前向きに取り組めない患者
こういった場合、上記で挙げた例ととても似通っていると思っています。
「前向きに取り組めない」と考えた時、何かそれに当てはまる物語を考えてみます。
理学療法士の養成校で習う事柄で考えてみます。
脊髄損傷の患者の障害受容過程は、養成校を出た理学療法士は必ず耳にしているはずですので、ここでの例として挙げさせて頂きます。
最初は、自分が障害を持ったという事が受け入れられず、何にも取り組もうとしない(そういう気持ちになれない)が、これが自分自身だと徐々に受け入れるようになり、今度はこのハンデを乗り越える何かを身に付けようと、人一倍努力するようになったりします。
こういった方々は、特定の事に才能を花咲かせ、障害を持っていない人よりも凄い力や能力を身につけたりします。
また、もともと運動なんてする事なかった人がアイアンマンレースに出るようになったという話も聞いた事があります。
こういった話を、「どうせ良くならないんだ」と思ってしまい自主訓練に取り組めない患者に話す事ができます。
「彼ら(脊損患者でトップアスリートになる人たち)も最初は、今の状況を受け入れられず、何にも取り組めなかったそうです。しかし、何かのきっかけで、このままではいけないと奮起するようになるそうです。」
こう伝えると、大抵の場合、この中から欠けている物語を患者自身で、補おうとします。
例えば、
今の状況→どういう状況かをセラピストの口から言っていません。
患者は、今の状況というのを、自分が考えられる範囲で考える傾向にあるので、まさに今置かれている自分の状態を当てはめます。
何かのきっかけ→具体的にどういうきっかけかは言っていません。
患者自身がきっかけと思っているものを、この人もそうであっただろうと考える傾向にあります。
患者自身が「セラピストに励まされているけど、前向きに取り組めない自分」を理解しているなら、
「きっと、この人も、最初は担当理学療法士に沢山励まされたのかな?それから頑張れるようになったのかな?」と考えるかもしれません。
家族や子供、もしくは恋人の存在が頭に浮かんでくる人がいるかもしれません。
セラピストが話す物語の曖昧な部分を患者自身の体験や、今置かれている状況に当てはめながら聞かなければ、その話を理解する事は難しくなるため、自然に自分に照らし合わせる事になります。
結果的に、余計な励ましや慰め、もしくは動機付け理論など使わずに、患者の事を理解して、患者が求めている(とセラピストが思う)話を、そっとするだけで、患者のナラティブには変化が起きます。
プロチャスカの動機付け理論なんてのを出す必要はないと思っています。他にも動機付け理論は多くありますが、変に、何かしらの理論を持ち出してくるよりも、その人を理解しようとするだけで十分だと私は思っています。これが、この場面でのナラティブリーズニングとなります。
ナラティブを手段として用いる事のメリット
ナラティブを手段とするメリットは、患者と話ができる状態でさえあれば後は何も要らない事です。
動機付けのステージを評価するなど余計な事をする必要は一切ないし、その人にあった、その人が求めている(と理学療法士が思っている)話をそっと話すだけですので、患者に余計な抵抗を作らせません。
押し付けるわけではないし、同意を求めるわけでもありません。ただ話して、それだけです。
患者の信念や価値、今までの経験や、今置かれている状況を有効に利用して、患者自身が求めてる刺激を与えるだけです。
理学療法士が変えてあげるのではなく、患者自身が変わろうとするのを少しだけ後押しするだけです。
ナラティブを上手く臨床に用いる事ができれば、臨床で滞っている状態を進展させることができるかもしれません。理学療法士が行うセラピーは手で触るだけではないはずです。