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「1.心理社会的アプローチとしてのナラティブリーズニング」
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1.心理社会的アプローチとしてのナラティブリーズニング

クリニカルリーズニングには、ナラティブリーズニングという領域があります。

ダイアグノーシスリーズニングが身体に対する従来のアプローチであり、ナラティブリーズニングは1人の「人」として心理社会的領域からアプローチしようとするものです。

クリニカルリーズニング アプローチ 対象
ダイアグノーシス 診断的アプローチ 身体
ナラティブ 心理社会的アプローチ その人

ナラティブリーズニングは、痛み治療場面において、非常に重要な部分であり、人を対象としている以上、避けては通れません。

ここでは、ナラティブリーズニングについての解説の前に、その前身であるナラティブセラピーを解説し、理学療法領域に取り入れる事について考えてみたいと思います。

 

ナラティブリーズニングは重要だが、学ぶ機会は少ない

ナラティブリーズニングが重要という事は、多くのセミナー講師や書籍執筆者が言う事で、ここに異を唱える人はほとんどいません。

しかし、残念ながらこの部分を重要視したクリニカルリーズニングの講習会やセミナーはかなり少ないです。

ネットで調べても、テキストを読んでみても、簡単な説明とその最後に、

「ナラティブリーズニングは重要です。」
「メンタル面も評価していく事が重要です。」

と、重要と言いながらも、具体的な解説を加える事を放棄した文面ばかりが目立ちます。

 

ナラティブは、EBMと対立するものではない。

心理学の要素を取り入れた療法士の方が、講習会の中で、

「エビデンスベースドメディシンではなく、大切なのはナラティブです。」

と話しているのを聞いた事がありますが、ナラティブリーズニングというのは、ナラティブセラピーから発展したものであり、もともとエビデンスベースドメディシンと対立するものではないし、ダイアグノシスリーズニングと対立するものでもありません。

ダイアグノーシスリーズニングでは、カバーする事ができていなかった「人をみる」という事を補うリーズニングプロセスです。

よって、この2つは、お互いを補完し合う協働関係です。

 

ナラティブリーズニングが重要と言っても、ナラティブリーズニングというものが、何をしようとしているのかが、よく分からなければ解説のしようがありません。

そこで、本シリーズのメインテーマであるナラティブリーズニングの解説に入る前にナラティブセラピーについて解説を行いたいと思います。

 

ナラティブセラピー(物語療法)とは、どういうものなのか?

ナラティブとは、「物語」と和訳されています。

ナラティブセラピーは、アメリカ人のマイケルホワイトという心理療法家が行っていた治療のスタイルです。

フロイトやユングが行った精神分析の一部もナラティブとされる場合もあるようですが、ここでは、マイケルホワイトのナラティブセラピーを意味しています。

 

物語は、「真実」ではなく「その人の解釈」

ナラティブセラピーでは、人が話す事・内容の全てを物語として解釈します。

問診を扱った他のクリニカルリーズニングの特集シリーズでも解説していますが、人が何かを説明しようとした時、それは「真実」ではなく、「その人の解釈」を話しています。

その人が重要視している事だったり、感情的になってしまった部分は拡大され、その人にとって価値の低いものは、縮小されます。

こういった傾向性を分析した別の心理学・言語学の学派では、「省略・一般化・歪曲」と表現します。

これらは、社会構成主義という考え方が基盤にあるのですが、その人の価値や信念で物事が解釈されたり、相手との関係性によって解釈されて表出されているので、発言している事は事実ではないと考えます。

「嘘をついている」とか、「嘘をついている可能性がある」と疑いをかけているのではなく、「話している人の解釈を聞いている」という事です。

 

事前に聞いていた話も、直接聞いてみると違っている事が多い

患者が話す病状が、医者の診察時と理学療法士との面接時に話す事では、食い違いを見せる場合があります。

一方(A)には、「凄く症状に困っていて常に痛い」と話すのに、もう一方(B)には、「少しずつだけど良くなってきているよ」と話したりします。

それを聞いて、一方(A)は「なかなか良くならないな。別の治療を試そう」というふうに考え、もう一方(B)は「良くなってきているから、このまま治療を進めよう」と考える事があります。

これは、患者が嘘をついているわけではなく、お互いの関係性によって、この人には何を話すか、どのように話すかを無意識的に決定しているためと考えられます。

 

また、他のケースで考えてみると、

ある患者では、闘病生活に心の底から苦しむのに対し、似たような状況(もしくは、それ以上に辛いであろう状況)でも、それをバネにして生きる事を目標に掲げ、今までよりも生き生きとしている人がいます。

起こっている事実はほとんど同じなのに、そこで起こる反応はまるで違います。

 

「そこで起こる反応」とは、ここの例で言うと、話す人によって、話の中身が変わったり、病気になった事による心の持ちようが患者間で一致しないという事です。

 

事実に対して起こる反応は人それぞれ

事実に対して起こる反応(患者の行動)は人それぞれです。事実に対して、みなが同じ反応を示す事はありません。

闘病生活→悲観
闘病生活→生きがいを見つける

闘病生活によって、「同じ苦しみを抱える人を救いたい」「死を実感してから生きる喜ぶを感じれるようになった」などと反応を起こす人がいます。

結果は、その人の価値や信念に影響されて表出されます。

この反応の仕方を考慮する事が、「その人をみる」ということに繋がります。

 

ナラティブセラピーの特徴

患者が体験したという事実(過去)は変えられないけど、その過去に対する価値付け(解釈)は変えられるというのが根底にあります。

少し強引ではありますが、ここまでをまとめると、

  • 起きてしまった事(闘病生活)を見るのではなく、その人(どう解釈するか)を見ようとしている。
  • 事実のように話される物語は、お互いの関係性によって決定される。これは、患者自身が、相手との関係性から自分自身に役割分担を与えている。

と考えるのが、ナラティブセラピーの特徴です。

患者からみて、理学療法士と患者の関係性が、

「病状を報告する人であり、(良くなっている変化ではなく)少しでも違和感に感じるものを伝えるべき人で、患者は症状を言うのが役割」

となっている場合は、物語の内容は本来よりも少々ダイナミックな展開になる傾向があります。

 

ナラティブをセラピーに用いる時にやること

人は自分の実体験を伝える際に言葉を使用します。

その言葉で話される内容を「物語」として捉え、治療者(心理療法家)は、その物語(解釈)を患者と一緒に書き換えていこうと取り組むのがナラティブセラピーです。

これらの考え方は、ブリーフセラピーにも共通した部分があり、その一学派ではリフレイミングという言い方をします。

リフレイミングは、部分的な解釈の変更を指す場合が多いので、一生を物語として捉える傾向のあるナラティブセラピーよりもリフレイミングの方が、理学療法との親和性は高いのではないかと思ったりはします。

また、物語の主人公である患者自身を、「今の悪い状況を話す事が役割」ではなく、「私の良い状態を周り示す事が役割(お手本になる人)」の主人公に変えていこうと働きかける事できます。(あくまでも一例です)

しかし実際、ナラティブセラピーの専門家でも、「ナラティブセラピーとは」を端的に説明する事は難しいそうで 、それを専門家ではない私たちが取り組もうとするならば混乱は必至です。

ここでは狭義の話をせず「その人をみる」という事をテーマに話を進めます。

 

理学療法士とナラティブセラピー

「腰痛」を肯定的に捉える事はできるのか?

患者が抱えている腰痛という問題に取り組む際に、腰痛を悲観的とらえないようにする方法はあるのでしょうか?

例えば、腰痛がある事によって起こる心的な反応としては悲観的になっても何の違和感もありません。

ですので、ここにナラティブセラピーで改善に取り組む余地があるのかは正直分かりません。

心理療法の専門家であれば、そこに介入するかもしれませんが、「身体を治療してくれ」と依頼した患者に、

「腰痛→悲観的」

となっている状態から、

「腰痛→前向きにとらえる」

といった物語の変化が起こるような働きかけを行ったとしても、相手にとっては、とても具合の悪いものと感じてしまうのではないかと思います。

こういう状態では、心理療法の専門家でない理学療法士の私たちがナラティブセラピーを行う事には危険性がありそうです。

少し状況を変えて考えてみます。

 

腰痛改善に取り組む姿勢にはアプローチできる

持続的な腰痛に苦しんでいて、塞ぎ込んでしまっている患者の場合なら、その塞ぎ込んでいる状況を解放させてあげる事はできそうです。

 

例えば、

患者が、高齢者の場合

「腰痛治療に取り組む姿勢を、○○さんのお孫さんたちが見たら、自分も小さな事にクヨクヨせずに頑張ろうって刺激になるかもしれませんね。」

 

患者が、学校の先生や指導者の立場の場合

「あなたの取り組み方が、他の腰痛患者さんにとっては良いお手本になるかもしれませんね。」

 

どちらも、主人公の役割を変えるような働きかけです。

例として2つをあげましたが、その人が積み上げてきた経験や、今置かれている状況というのを活用して、その人が前向きになるように働きかけています。

こういった、過去の経験や、今置かれている状況は、その人の財産となり得るものです。

その人が持っているもの(知識や経験、達成感なども含め)、何かを成し遂げてきたという自信というのが、今から取り組もとしている事の壁を壊してくれるはずです。

 

慰め上手のセラピストではなく、その人の力を最大限に発揮させるセラピスト

これらのコミュニケーションは、優れたモチベーションスピーカーが、意識的・無意識的に行っているものです。

人(患者)を励ます時に、慰めるのではなく、その人の力を最大限に引き上げるために、ちょっとした刺激を入れるだけです。

起こってしまった事を一緒に落ち込むのではなく、慰めるのでもなく、その人が持っている本来の力を引き出すきっかけを与えているだけです。

腰痛そのものを悲観的に思わなくなるようにはできなくても、必要以上の落ち込みや、何かの感情が邪魔をして前へ進めないという患者に対しては、理学療法士がナラティブセラピーを用いる(解釈を変える・役割を変える)事は可能かもしれないと思っています。

 

まとめ

ナラティブリーズニングは、ナラティブセラピーのエッセンスをクリニカルリーズニングに導入したものです。

ナラティブリーズニングでいう「人をみる」という事が示すものは、

  • その人の信念や価値を理解する事
  • 改善していく事を阻害している要素を、患者の経験や能力を活用して好転させる事
  • コミニュケーションによって治療の進行を停滞させてしまわないようにする事

こういった働きかけをするための推論です。

腰痛を悲観的に思わないようにするという事は大切な要素かもしれませんが、治療を求められている理学療法士の役割ではないように思います。

 

「人の心の動き」という、少々扱うのが難しいテーマではありますが、理学療法領域での「人をみる」に関する臨床推論(ナラティブリーズニング)についてを、私の臨床と絡めながら、この特集シリーズを進めていきます。




特集 » 臨床推論におけるナラティブリーズニング

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