本特集シリーズ「初回の問診とコミュニケーション」では、問診に関する事を解説していきます。
運動器疾患や疼痛を訴える患者の治療では、主訴を相手にする為、患者の訴えをどれだけ丁寧に聴く事ができるかによって、その後のクリニカルリーズニングの質が大きく変わります。
今回の記事では、問診時に起こる問題の1つである「省略」という事について解説していきます。
この記事の目次
常に不正確さがつきまとう問診
患者が症状をセラピストに伝えるさい、実際に起きている事とはほど遠い、もしくはその極一部を表現しているにすぎない情報である場合がほとんどです。
不正確な言葉ではなく、できるだけありのままを伝えてほしいのですが、これをいきなり患者に求めるのは困難です。そこで、その協力をセラピストが行わなければなりません。
不正確な可能性のある言葉を、ありのままを表現している言葉に戻すための質問のテクニックがあります。質問の仕方にちょっとした工夫を入れる事で、欠けた情報を復元させ、伝達された意味や内容をはっきりさせる事ができるようになります。
問診は、セラピストの勝手な解釈が生まれやすい
ほんの簡単な一例ですが、変形性膝関節症の患者が、ROM-ex中に、セラピストに「私の膝は曲がってる?」と聞いてきました。
そうすると、患者が何を聞いているとセラピストは受け取るでしょうか?
- 変形の程度を聞いているのか?
- 自分自身の膝の左右差を聞いているのか?
- 他の人より酷いか?と聞いているのか?
- 変形の事ではなく、伸展制限を聞いているかもしれません。
何を答えるべきかが大きく変わってくるし、何を聞いているかをセラピスト側が考慮せずに、セラピスト側の勝手な解釈で返答した場合は、このやり取りは誤解を生む可能性があります。
これが、症状の説明の際にはもっと複雑に起きているのです。
コミュニケーションは、常に不正確さがつきまとう
「痺れはありますか?」とセラピストが問いかける事が多々あると思いますが、その返答に「脚がしびれている。」と答えたとします。
この場合、
- 脚に力が入らない運動麻痺を言っているのか、
- 感覚を感じないという感覚障害を言っているのか、
- ビリビリと電気が流れているという異常感覚を言っているのか、
具体的に聞いていかないと、何のことを言っているのかが曖昧になってしまいます。
セラピストは、この情報をもとに次の質問や後の検査計画を立てるので、ここが曖昧だと、それ以降のクリニカルリーズニングの確からしさが損なわれてしまいます。
言葉によるやりとり(コミュニケーション)には、常にこの不正確さがつきまといます。
これを、どれだけ
- 事実を事実として知れるか
- 客観性を増加させられるか
- 主観的な思い込みを避けられるか
- 偏向特性から離れられるか
が問われます。
「不正確さ」の背景にあるのが、省略・一般化・歪曲
言葉による情報伝達の際に起きやすい問題を大きく分けると省略、一般化、歪曲というように社会学や心理学などの分野では分けられますが、この分類法を使用して解説していきたいと思います。
省略 | 本当の情報の、極一部だけが表出される |
一般化 | 特別な事をあたかも全てに言える事かのように表現される |
歪曲 | 単純化されるプロセスで意味・真意が歪められる |
一般化や歪曲は、慢性疼痛患者の心理面へ介入を検討する際に必要になってくるのですが、今回の特集シリーズでは初回の問診時を想定しているので、この場面で起こりやすい「省略」についてのみ解説していきます。
「省略」について詳しく説明
「省略」を簡単に説明すると、情報の何かが省かれているという事です。
全てを話そうとすると冗長になってしまう為、省略する事は悪い事ではないのですが、問題なのは重要な事まで省かれてしまうことです。
「何が(どこが)」、「どのように、どれくらい」、「何と比べて(比較対象は)」、「誰が言っているのか、判断基準は何か」、という質問を行う事で、この省略されたものを復元する事ができます。
何が
患者が「痛い」といえば、「どこが?」と聞くと思います。
この時、「腰が痛い」と答えたとしましょう。そして、セラピストが「右ですか、左ですか?」と聞き、患者が「右側です。」と答えたとします。
では、患者が言っている腰とはどこの事を言っているのでしょうか?
セラピストが解剖学を学んできたうえで腰としているものと同じ事を言っているのでしょうか?
そうであるかもしれないし、そうでないかもしれません。
右側と言っているのは、右は右かもしれませんが、棘突起のすぐ右側の事なのか、もう少し外側なのか、脇腹なのか、臀部なのか、このままでは非常に曖昧です。
実際に指し示す意義がここにあるのですが、患者が指し示した部位についても気をつけなければなりません。
指し示したその一点が痛いのか、広い範囲の一部を言っているのか、複数あるうちの一番気になっている部位を言っているのか、あまり考えずに言っている場合もあるかもしれません。
ここでは、「指で指し示したその一点だけですか?」と聞く事ができるはずです。
フィンガーサインかパームサインか、などといった推測よりも、指し示しているそこだけなのかをその場で確認するべきです。
「何が(どこが)」という事だけをとっても、しっかり聞かなければ情報は誤って伝達されてしまいます。
ここまで、細かく聞く必要があるのかと思われる方が、もしいるならば、これまでの記事で説明した効果判定の繊細さについて、もう一度考えてみてほしいと思います。
試験的な治療を行った後のポストテストで、患者の訴えている症状の範囲が「狭くなっているかも」、もしくは「変わっていないかも」、では困るのです。
特に、試行錯誤の過程で行われる徹底的推論法の場合においては、「変わっていないのは変わっていない。改善したのは改善した。」部分的に改善しているというのなら、どこが改善し、どこが変わらないのか、という判断が非常に重要になってきますが、この判断ができなくなってしまいます。
どのように、どれくらい
痛いという言葉には、色々な意味が含まれます。
実際の感覚の他にも苦痛や苦悩などの感情面が含まれます。
「痛い」という表現が、不快な何かの事を言っているであろうという所までしかわりません。
「ズキズキと痛い」と表現する場合もありますが、「何か嫌な感じ」という表現をされる患者もいます。
「たまらなく痛い」と感情を含めて表現をする患者の場合は、実際の痛みの質については、実は何も答えていなくて、痛みによって起きている心理的な結果を話しています。
「痛みのせいで困っていて辛い状況にある」という別の話になってしまっています。
どのように痛いのかをしっかり聞く必要がありますし、ここでしっかり聞いておく事ができれば、その痛みを名詞化できるというメリットがあります。
痛みの名詞化ができていれば、後の検査や治療の際に別の痛みの事が会話の中に混入してくる事を防げます。
痛みを検査によって再現する際に、いくつかの負荷をかけるわけですが、問題のない部位にも痛みを感じる可能性があります。
そこで、検査をした際に、たまたま検査中に出た痛みと差別化を図る際に、患者が表現した「どのように」に当てはまる痛みかをスムーズに確認をとる事ができます。
「ズキズキと突き刺されるように」と表現されれば、検査の際にそのまま患者の言葉を使用して、「この痛みは、ズキズキと突き刺されるような痛みと同じ痛みですか?」と聞く事ができます。
すると患者は、ただ単に痛い・痛くないを聞きたいのではなく、「あの痛みと同じ痛みが出ているかを聞きたいのだな」という事を理解しやすくなります。
その表現の仕方が、仮説を立てる際の材料にもなりえ、後のパターン化の為の意味のある限定詞の重要ワードになる可能性も秘めています。
また、どれくらい痛いのかを聴く事が重要で、VASやNRSで確認をとる事も可能ですが、ここでは、痛みが生活とどの程度関わりを持っているかを聞いておくべきです。
症状を聞いていると、もの凄く痛そうだなと感じ、VASで痛みの強さを表現してもらうと8/10とする患者が、日常生活上は何の問題もなく、ただ痛みがあるという事が気になっているだけという事はよくあります。
動作を制限する程度なのか、日常生活に支障をきたしているのか、仕事を休まなければならないのか等、どの程度かを実生活にあてはめて表現してもらえると、セラピストはこの痛みの程度を理解しやすくなります。
その程度によって、用いる検査や試験的な治療でのリスクを考慮する事もできますし、患者おかれている現状を理解しやすくなります。
何と比べて、比較対象は
患者「私の腰は非常に悪い状態だと思います。」
この悪いという判断は何かと比較されているはずでが、比較対象までをセラピストには伝えてくれません。
例えば、「以前の状態から悪くなっている」、「周りの人と比べて悪い部類に入る」などです。
痛みについて話す場合は、さほど問題にならないと思いますが、「歩き方がおかしい」や、「筋力がない」などの周辺症状を話す際にこの問題が頻繁に起きてしまいます。
(「悪い」が何を表現しようとしているのかも重要ですが、これについては先に挙げた「どのように」に該当する部分です。)
患者の言う「非常に悪い状態」が、何と比較してかを知ると、これから向かう先が見えてきます。
悪い状態を治したいと思っているのですから、患者が求めているゴールは比較しているものと同等の状態になりたいと言い換える事ができます。
ケースによっては、本来比較すべきではないものと比較しているケースもあります。
誰が言っているのか、(何が基準か)
患者「私の腰(もしくは骨盤)は捻じれています。」
患者「腰の骨が飛び出してるので、もう治らないかもしれません。」
患者「以前より歩き方が悪くなっています。」
これらは、整体や整骨院に行った後に病院(外来リハビリ)に訪れる患者がよく使う言葉ですが、これが事実のように表現されている事が問題になります。
捻じれているかどうかは問題ではなく(そうなのか、そうでないのかはわかりません。科学的根拠に乏しかったとしても、そうなのかもしれません。どちらにしても、この時点ではわかりません)、事実のように表現されている事が問題です。
この時点でセラピストは、現在の患者の状態(症状)を把握したいだけです。
他で言われた事、患者が思っている事も含めてしまうと、純粋な症状説明からかけ離れてしまいます。
また、「治る・治らない」「悪い・悪くない」という事について話す患者も多くいますが、これらは何を基準にしているのかを聞かなければいけません。
症状が無くなる事なのか、構造上の破綻が修復される事なのか、以前のように動けるようになることなのか、どういった事を「治らない・悪い」と表現しているのかを聞かなければ、セラピストには分かりません。
リハビリテーション場面で時々みられるような誤ったコミュニケーションとして、落ち込んだ患者が、何気に「もう治らないかもしれない」と話した時に、担当セラピストが「大丈夫ですよ。リハビリを行いながら少しずつ改善しましょう」なんて話している場面があったりします。
患者は、何を「治らない」と定義しているのか分からないにも関わらず、「大丈夫」や「改善」なんて言葉を使ってしまっています。
症状説明の話しに戻りますが、もし、誤った情報に基づいて患者の判断が下されているのなら、その情報が誤っている事に気づいてもらう必要があります。
周りの誰かに歩き方が悪いと言われて、その悪いと思っている事を解決したいと病院に来ている場合は、その先に徒手療法(マニュアルセラピー)が活躍する場面は、そもそも存在しないかもしれません。
セラピストからみて正常と思える状態にも関わらず、「問題がある」と患者が決めつけてしまっている場合は特に重要になってきます。
まとめ
患者「腰が痛くて変な歩き方になっています。」
- 腰とは、どこの事を言っているのか。
- 痛いという表現は、具体的にどのような不快な感覚なのか、そして、どの程度日常生活に影響しているのか。
- 変な歩き方とは何と比べて変と言っているのか。その判断は、誰がした判断なのか。
痛みの治療は、ほとんどの場合において患者の主訴を対象にし、その変化をみています。
主訴をできる限りセラピスト側の解釈ではなく、可能な限り復元しなければ、その先のクリニカルリーズニングの確からしさは損なわれてしまいます。
ここでは、患者の訴える症状を系統的に聞いていく問診の手順ではなく、省略が生まれやすい場面を抽出して解説しています。
省略された内容に注意しなければ、セラピストの主観的な思い込みや偏向特性に影響を受けて情報を修正してしまいます。
その修正を受けた情報は、患者とセラピストが共有している情報ではないので、それ以降のやりとりは違う事について行われている可能性があります。
ここで解説している事は、仮説を立てるための問診という位置付けではなく、患者の言葉の裏に隠れてしまっているものを表層化する為のスタート地点です。
聞いた言葉を、セラピストの解釈で歪めてしまう事がないように聴く事が、その後の仮説生成の土台になります。
つまり、事実を事実として聞くために、省略されている事に注意してコミュニケーションをとる必要があるのです。