-前回記事の続編です。-
前回記事では、診断におけるエビデンスは重要だが、治療におけるエビデンスは(間違っているとは言わないが)あまりあてにするものではないという(かなり個人的な)見解を述べさせて頂きました。
ツイッター上で、反響があったのは嬉しかったのですが、少しびびってしまい、不適切な表現がないかと自身で読み返してみると、
「なぜ診断では、エビデンスに頼っても何ら問題ないのに、治療となると、そこは重要ではないのか?」
という問いに対して部分的にしか解説していないなと感じましたので、慌てて追加の記事を制作しました。
前回記事を読んで頂いた方は、本記事まで読んで頂けると嬉しいです。前回記事をお読みになられていない方は、「3.エビデンスの重要性やその使用場面を考えてみる。」から読んで頂ければと思います。
この記事の目次
臨床で誰かを頼りたくなる時
痛み治療の臨床では、治療が思うように上手くいかず(症状の改善がなかなかみられないなど)、自分自身のクリニカルリーズニングがストップしかけていると感じた時に誰かを頼りたくなるはずです。
もちろん、今、一般的に大切とされている治療を全く知らずに、ただ経験則だけを頼りに治療を展開する事はオススメ出来ませんので、ある程度の方向性は、エビデンスやガイドラインの通りかもしれません。
しかし、結局のところ、臨床で重要となるのは、最後のツメの部分だったり、患者各々に合わせたゴールに達成できないという状況だと思います。
前回記事引用
- 良くなってはいるけど、後少しのところで患者自身の言葉で「治った」と言ってもらえない。
- 良くなっているが、ある程度の所で改善が停滞してしまう。
- 前屈角度は増えたけど、結局、運動すると腰痛が再発する。
- そもそも検査で疼痛を再現できないが、患者自身は日常生活上で腰痛を感じている。
このような場面では、エビデンスやガイドラインを頼ったところで、何も問題解決は出来ません。
「問題解決」と「意思決定」
この二つの言葉は混同されて使用される傾向にありますが、少し意味が違います。この2つの言葉について、まず最初に解説させて頂きます。
問題解決とは、選択肢が非常に多いか、どのような選択肢があるかさえもわからない状況での解決手法の模索を指します。
意思決定とは、少数の選択肢があり、どれを選ぶかだけを判断すればいい状況を指します。
※ これらの定義は心理学で定義されている言葉になります。
臨床での推論は、問題解決か?意思決定か?
臨床は大まかに分けて診断と治療です。
診断は、◯◯病であるか否か?という問いになるので、これは意思決定に当たります。(もちろん、複雑な症状の場合はあらゆる事を考慮する必要が出てきますが、突き詰めると意思決定となります。)
治療に関しては、2つの場合が考えられます。
初期治療で◯◯法を導入してもいいか?
→これは意思決定に当たります。
では、ここでの意思決定によって「◯◯法を導入すべきでない。」という判断に至ったとします。
(もしくは、◯◯法を用いても良くならなかった。)
すると、次の課題は、「では、どうすれば、この人の症状を改善できるか?」
つまり、簡単にはいかない状況に置かれた時に、単なる意思決定では済まされなくなり、理学療法士が行うべきは問題解決に変わります。
繰り返しになりますが、問題解決とは、選択肢が非常に多いか、どのような選択肢があるかさえもわからない状況での解決手法の模索を指します。
つまり、臨床で行き詰まって、誰かを頼りたくなる状況というのは、意思決定を超えて、問題解決というステージに立っているのです。
意思決定の段階では、エビデンスは頼れるかもしれませんが、問題解決ではエビデンスはほとんど場合において頼れません。(問題解決を意思決定のレベルまで掘り下げるテクニックが求められます。これは、単純にはいきませんので、ここでのエラーが起こってしまう可能性が非常に高くなります。)
研究に携わった事がある方や研究論文を読みなれている方なら分かると思うのですが、
研究を進めていく上で、あらゆる事柄を明確に定義して話を進めていきます。
前回記事でも解説した「何を治ったとするか」についても、研究内でしっかりと定義した上で研究は進行していきます。
前回記事引用
研究では、何を「治った・改善した」とするかは、研究者自身に委ねられます。
患者自身は一切「治った・改善した」という気がしなくても、最初に設定した定義をもとに「治った・改善した」とする事が可能です。
- VASが半減したら
- VASが5以下になったら
- 歩行距離が伸びたら
- FBS(BBS)が改善したら
- 腰の伸展角度が増加したら
- 体位前屈位が増加したら
これらの6項目のうち、2つ以上に該当した場合を著名な改善、1つで改善とする。0の場合に不変とする。
このような、明確に定義されたものを、自身が抱えている臨床での問題に当てはめる事はできません。
これらは、全て意思決定にあたる部分です。
意思決定を、分かりやすい言葉に置き換えると(本当の解説にはなっていませんが、非常にシンプルな言い方をすると)、
「はい」もしくは「いいえ」で回答できる問題です。
問題解決は「はい」もしくは「いいえ」では回答出来ません。
では、実際の日常に置き換えて考えてみます。
私がある友人と大喧嘩をしてしまったとします。その時、私が抱えてしまった問題は、
「どうすれば友達と仲直りできるか?」
です。
これは、問題解決に当たります。つまり、「はい」もしくは「いいえ」では回答出来ません。
私は、大切な友達と大喧嘩をしてしまったので、頭がパニックになり、自分ではどうしていいのかわからなくなってしまいました。そこで、何かに頼ろうとしてしまいました。
- 喧嘩して仲直りする方法についての研究論文
- 人生経験豊富な先輩や既に同様の悩みを抱えた事があるであろう友人
どちらが解決(もしくは間違いではない判断)に近づけそうでしょうか?
また、最初は自分ではどうしようもないと思っていたとしても、よく思い返してみると、似たような経験が以前にあって、
「素直に謝って、少し時間がかかったけど、仲直りできた。」という経験を思い出す事ができれば、誰かを頼るのではなく、その経験則を無意識的に頼るかと思います。
先ほどの二択の場合に戻しますが、この二択では、ほとんどの人が日常的に2を選択しているはずです。
そもそも、1を選択しようとしたとしても、このような研究が高いレベルで行われていて発表されているかも疑問です。
つまり、日頃から私たちは、とても大切な日常的な問題事を、自身の経験則や、信頼できる誰かの経験則を頼っているのです。
それは、それ以外に適切な方法がないからです。
上記の日常生活上の例え話は、臨床で行き詰まった理学療法士にも当てはまる事だと思っています。
自身が臨床で抱えてしまった「行き詰まった状況」というのが、
- 問題解決にあたるのか?
- 意思決定にあたるのか?
これを考えると、(前回記事で解説した事になりますが)
しっかりとした科学的根拠を持って、診断(評価)にあたり、
なかなか良くなっていかない状態に変化を起こそうとする行動(治療)は、自身の経験をフル活用して臨床に当たるか、それを既に経験してきた熟練者にヒントをもらうかが重要だと思っています。
という私自身の見解(前回記事で書いた事)に至ります。
終わりに
「なぜ診断では、エビデンスに頼っても何ら問題ないのに、治療となると、そこは重要ではないのか?」
という問いに対して部分的にしか解説していないなと感じましたので、慌てて追加の記事を制作させて頂きました。
ツイッターで取り上げてくれた方や、実際に読んで頂いた方には、とても感謝しています。
とても稚拙な文章で、読みにくかったと思いますが、最後まで読んで頂いて本当に有難う御座いました。
今後も(自己満な)記事を投稿していく予定ですので、これからも読んで頂けるととても嬉しいです。また、ネットを活用した勉強会を企画していますので、参加して頂けると嬉しいです。